Fujimigaoka
誰もが笑顔の「垣根のない学校」
校 長 稲 垣 達 也
自然豊かな本校の校庭が桜色に染まりました。桜吹雪が美しく舞い、百花繚乱の季節の訪れです。新型コロナウイルス感染症に世界が翻弄され、ロシアによるウクライナ侵攻などといった混沌とした社会情勢の中でも、季節の巡りによって自然の息吹を実感できることに安堵しております。今、ここに生きていることの有難さが身に染みます。
さて、去る3月24日、第74回卒業式を挙行しました。本校では数十年ぶりに「仰げば尊し」を合唱し、恩師や友と過ごしたかけがえのない思いを胸に、35名の卒業生が誇り高く巣立っていきました。恩師や友を心の底から敬える、そんな学校に向けて、すべての教職員が師として恥じない崇高な教育に努めてきた証とも感じました。これもひとえに、保護者・地域の皆様の御尽力のおかげと感謝の念に堪えません。ありがとうございました。
私が着任した3年前は無念の臨時休校から始まり、以来、コロナ禍における柔軟な学校経営が問われる日々でした。私が心に決めたことは、後世に恥じない学校経営であり、その一つの答えが「凡事徹底」です。凡事徹底とは、革新的なことや特別のことではなく、目の前の課題をしっかり捉えて「やるべきこと、当たり前のことを、徹底してやること」です。
振り返れば、直面する様々な課題に取り組む中で、皆様の御理解と御支援を賜わり、富士見丘小学校の新たな歴史を刻むことができたことに心より感謝申し上げます。
そして今、心に強く思うことは、富士見丘小学校を「例外なく誰もが安心して過ごせる、一人一人にとって居心地の良い学校」にすることです。
本校では特別支援教育に力を入れており、以前、「普通」とは何かというお話をしたことがあります。例えば、保護者の思いとして「うちの子は特に優秀でなくても普通にできればいい」とか、逆に「あなたは何で普通にできないないの」と子を叱ったりすることはないでしょうか。この「普通」という考え方が危ういというお話です。
「平均」という言葉に置き換えてもいいかも知れません。お子さんを、平均と比較していませんか。平均とは何でしょう。例えば、スポーツ。運動が苦手な子もいれば、プロで活躍する人もいます。そこに「普通」や「平均」の概念は存在しません。音楽もそうです。さっと上手に歌える子もいれば、どうしても音程が取れない子もいます。
国語や算数の学習も同じです。テストが返ってきて、平均点と比較されたり、他の子と比べられたりすることに、子供たちは苦しめられるのです。
例えば、私は視力が弱いのでコンタクトレンズで矯正しています。近くの文字を読む時は老眼鏡が必須です。でも、この2つがあるおかげで、大きな不自由なく過ごせています。
視覚障害は、大きく分けると、「弱視」と「盲」になります。矯正しても視力が十分でなく、見えにくい困難を抱えている場合を「弱視」と言います。また、法律上で視覚障害が視力と視野の観点から定義されているために、視覚的な困難があっても障害者手帳を取得することのできない色覚障害と光覚障害もあります。
私の場合は障害ではありませんが、矯正という支援が必要です。いずれの場合も、障害のあるなしという一面的な見方ではなく、学校生活や社会生活の状況、周囲の生活環境といった様々な視点から、学校教育においても必要な支援につなげることを大切にしていきます。
私たちが暮らす社会には、子供や高齢者、体の大きい人や小さい人、障害のある人やない人、いろんな人が一緒に生活しています。一人ひとり顔や性格が違って、様々な個性があるように、障害にも目が見えない、耳が聞こえない、手や足が不自由などいろいろな個性があります。障害があっても、見えない人には声で伝えたり、車いすの人には移動を手伝ったり、社会に工夫や配慮があれば障害のある人も暮らしやすくなります。障害のある人もない人も誰もが支えあって、思いやりあふれる共生の社会を創るために、わたしたちはどうしたらいいでしょうか。
また、近年、発達障害や情緒障害という言葉も、身近に聞くようになったと思います。自分の気持ちを相手に伝えることや、会話のやりとりが上手く出来ず、人と関わることが苦手な子がいます。障害のために脳が上手く働かなかったり、相手の言うことを理解しにくく、コミュニケーションが取れなかったりします。言葉がつまってしまい、なめらかに発音できない吃音(きつおん)という障害もあります。
相手とうまくコミュニケーションが取れないと、人と関わることが苦手になり、一人ぼっちになりがちです。乱暴な子とか、変な子とか、相手をするのが疲れると言って避けてしまうことはないでしょうか。相手のことを理解して、分かりやすい言葉で伝える、ゆっくりと時間をかけて話す、いろいろな方法で、相手の気持ちに寄りそって関わることが大切です。
本校には、今年度、通常級が12学級(各学年2学級)、自閉症・情緒障害学級7学級(実際は学年毎の6学級編成)、難聴・言語通級指導教室、特別支援教室など、様々な学級や教室があります。全部が一つになって本校の教育を進めています。
そして、およそ360人の児童が、障害の有無や、特性の偏り、国籍などに関わらず、誰もが笑顔で、あちらこちらから笑い声が上がり、安心した学校生活を過ごしています。
この3年間、本校は大きく前進してきました。かつてイメージのような、落ち着きのない学校、教室に居られない子供たち、そんな状況は微塵もありません。学校改革の中心を貫いたのが「凡事徹底」と「みんなが共に学び、共に育つための学校」という教育哲学であったと振り返ります。
そこで、今年度は「垣根のない学校」というインクルーシブ教育の視点をさらに前面に打ち出し、誰もが過ごしやすい社会をつくる芽を育てていくこととしました。
学校経営方針より 【垣根のない学校】の実現に向けた重点施策の抜粋
1 児童の呼称は「○○さん」
人格を認め合い、互いの尊敬と信頼により、教員と児童の垣根をつくりません。
2 学級担任の枠を超えた「共同担任制」
複数の教員で学年を担当し、厚い支援体制により、学級の垣根をつくりません。
3 個別指導体制の充実
習熟度別学習に加え、寺小屋や個別指導等により、学びの垣根をつくりません。
4 特別支援学級との交流及び共同学習
通常の学級と特別支援学級との相互交流により、多様性の垣根をつくりません。
5 ユニバーサルデザインの推進
子供にやさしい教室環境、学習環境、授業により、不安の垣根をつくりません。
6 個別の教育的ニーズに応じた教育の提供
開かれた教育相談室や個別支援などにより、個性や発達の垣根をつくりません。
7 認知機能トレーニングの充実
認知や感情統制、対人スキルのコグトレにより、社会性の垣根をつくりません。
これらは、全ての子供たち、教職員、保護者、地域の皆様が、協働する仕組みのある学校(「社会に開かれた教育課程」「共にある教育」の実現)が大切だと実感し、継続して取り組み、本校の学校文化として醸成していくものです。
インクルーシブ教育は、「例外なく一人一人にとって暮らしやすい場所」をつくる取り組みです。嫌なことや苦手なこと、好きなことや得意なこと、それを伝え合い、分かち合い、一緒に工夫し合っていくことで、誰にとっても安心して過ごせる学校を創って参ります。
この1年、皆様と共に、希望をもって歩んでいくことをお誓い申し上げます。
令和5年4月1日